株式会社伍魚福 代表取締役社長
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自分自身と家族について雑感2009.01.11(Sun)あじさいコンサートと大倉山公園
今日は「第4回あじさいコンサート~未来(あした)へ~」が神戸・大倉山の神戸文化ホール(大ホール)で開催されました。
「あじさいコンサート」は、阪神・淡路大震災から1年が過ぎた平成8年(1996年)1月、全国各地から寄せられた支援に対して感謝の気持ちを伝えようと「感謝コンサート『あじさいを咲かそう』」を開いたのが始まりです。
翌年から「震災からの心の復興」をテーマに、「あじさいコンサート」と名称を変え、広く市民から参加希望者を募り実施されました。
4年前、10周年の節目を迎えたのを機に、あじさいコンサートの名称の後に「~未来(あした)へ~」という言葉を加え、コンサートのテーマを「震災からの心の復興」から一歩進めて「未来へ向けての神戸からの文化の発信」とし、再スタートして今年が通算では13回目。
神戸を中心として活躍する合唱・合奏団体が出演します。
今年は12団体の参加ですが、その中に母校の音楽部が出演するということで聴きに出かけました。
家内と次男の瞭との3人です。
母校の演奏を聴いた後、瞭と私は途中で退席し、大倉山公園を散策。
神戸文化ホール自体が大倉山公園の中にあります。
大倉山公園は、元々大倉財閥の創始者、大倉喜八郎の別荘があったところです。
大倉財閥は明治・大正期に拡大しましたが、第二次世界大戦後の財閥解体で解散しました。
これを源流とする企業としては、大成建設、帝国ホテル、ホテルオークラ、あいおい損保、日清オイリオ、東海パルプ、サッポロビール、リーガルコーポレーションなどがあり、現在も存在感を示しています。
大倉喜八郎と親交のあった伊藤博文(初代の兵庫県知事で内閣総理大臣)がこの神戸の別荘をよく利用していたそうです。
伊藤博文が明治42年(1909年)ハルピンで暗殺された後、大倉喜八郎がこれを悼んで銅像を建て、市民に開放することを条件にこの別荘を神戸市に寄付しました。
明治44年10月に銅像が建てられ、「大倉山公園」として開園しました。
銅像は第二次世界大戦中に供出されて今はなく、巨大な台座だけが残されています。
この公園の中には、「ふるさとの森」という、35県のお国自慢の木を植えた庭園があり、各県人会の皆さんが立てた石碑などがたくさんあります。
こちらは、静岡県人会が創立100周年を記念して建てた富士山型の石碑です。さすが富士山はインパクトがあります。
遊びに来ていた外国人の家族もここで記念撮影をしていました。
大分県の森には、大分・中津藩出身の福沢諭吉の石碑もあります。
「独立自尊 天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
と書いてあります。懐かしい・・・。
敷地内には、野球場、児童公園、中央図書館、中央体育館、神戸文化ホールなどいろんな公共施設が建てられており、たくさんの市民に利用されています。
市街地の真ん中にあるとは思えない意外と静かな空間です。
季節季節にいろんな花が咲き、花の名所になっているそうです。