株式会社伍魚福 代表取締役社長
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「食」全般くぎ煮資料室商品について地域・社会とのかかわりについて2010.03.13(Sat)長田駒ヶ林「くぎ煮」の昔話・友光喜代子さん92歳
駒ヶ林婦人会、長田区連合婦人会、神戸市婦人団体協議会の会長を約40年なさっておられた友光喜代子(ともみつきよこ)さんです。
現在でも長田区連合婦人会の名誉会長をなさっています。
本日開催された第8回のいかなごのくぎ煮コンテストにお越し頂き、お会いすることが出来ました。
大正7年生まれの92歳。少し足がお悪いそうですが、目も耳もお達者で大変お元気そうです。
「伍魚福さん頑張っておられますね」とおっしゃって頂きました。
平成7年に亡くなった祖母のことも良くご存知でした。
婦人会報の最も古い記録では、昭和55年、友光さんが講師となり、神戸市の各地でいかなごの調理法の講習会をされ、現在のようにくぎ煮が各家庭で炊かれることとなるきっかけを作ってこられた「張本人(ご本人談)」だそうです。
友光さんは長楽小学校(現在の駒ヶ林小学校)に入学され、昭和4年か5年頃、二葉小学校(こちらも統合されて現在は駒ヶ林小学校)の新設でそちらに移られ2回生としてご卒業になったそうです。
友光さんが子供のころから家庭ではいかなごを炊いて食べておられました。
当時は2月、フルセ(親魚)から始まり、節分、そして花見の季節(コナ=シンコ)まで。
友光さんが子供のころですので大正末期から昭和の初めの時点でいかなごを炊いて食べておられたことになります。私が調べた中では最も古い証言です。
昭和12年にご結婚され、4人のお子様をもうけられました。
昭和43年に駒ヶ林婦人会の会長になられ、神戸市の婦人団体協議会の会長も歴任。
友光さんは最も多い時期で100kgのいかなご(炊き上がりで60kg)を炊いておられたそうです。500gずつ分けて100人の方に配っておられたとのこと。
「世間では垂水が発祥というけれど、長田のほうが古いのよ」とおっしゃいます。
私が調べた「滋味風土記」の本のお話もさせて頂きました。
昭和10年に発行されたこの本には、「玉筋魚(いかなご)釘煎」という料理が登場します。駒ヶ林と垂水どちらも掲載されていますので、昭和10年時点ではどちらの地域でもいかなご(いまよりも大きいもの)を炊いておられたようです。
詳しくはこちらのエントリーを参照下さい。
こちらが友光さんが炊かれたフルセ(親魚)の「くぎ煮」です。
コンテストに応募いただき並べさせて頂きました。
懐かしがる方、びっくりされる方・・・。
友光さんからのこの作品についてのコメントです。
「フルセ(大きないかなご)はシンコ(小さないかなご)に比べ、脂もあり焦げやすく炊くのが難しいが、頭の先から尾の先まできれいに炊き上げる。いかなごのくぎ煮は長い伝統があり、長田住民は昔から地元の方々が大切に伝えてきました。昔はまず値段も安く、長持ちする、また栄養も高い庶民の副食として長く伝えられている、長田が誇れる食文化です。」
私も試食させて頂きました。
やわらかく、とてもおいしかったです。
伍魚福の商品本部統括の大橋次長も絶賛。
コンテストの試食では一番に売り切れました。
地域の食文化を大切に守っていきたいですね。
友光さんからは後で私の携帯にお電話を頂きました。
「お話ししていた講習会、昭和55年の会報にありましたよ」
ブログへの掲載も快諾いただきました。
本当に貴重なお話ありがとうございました。
我々も誇りを持って「くぎ煮」を守り、育てていきたいと改めて決意。
地域の皆さんととともに努力を続けてまいります。