株式会社伍魚福 代表取締役社長

地域・社会とのかかわりについて経営について2023.01.17(Tue)阪神大震災から28年


28年前、1997年1月17日、阪神大震災が発生しました。
こちらはその何日か後に、第一勧業銀行(現みずほ銀行)長田支店の担当の方が撮影した写真です。

2020年2月、みずほ銀行長田支店が神戸支店の場所に移転・統合のための引っ越しが行われました。
その際に、当時の長田支店長に見せていただいたアルバムです。
そこには、取引先企業の写真とともに被害状況のコメントがありました。


こちらは先程撮影した現在の写真です。
CIを行い、ロゴを変更して外装も変わりましたが、建物はそのまま使用しています。


こちらは、本社前の現在「商品科学研究所」となっている建物です。
重機で取り壊している、隣のマンションの1階は鉄工所だったそうですが、地震で全壊。
伍魚福の本社側に倒れ、突き刺さりそうだった、と後で聞きました。

現在「商品科学研究所」となっている建物を本社として使用していた時期があります。
現在の神戸物流センターが稼働する前は、今の本社で製造も物流も行い、向いの木造二階建の建物を本社としていたのです。
その名残でこの写真の看板は「伍魚福本社」になっています。

大学時代ですので、昭和61年か62年、当時の本社(現研究所)を訪れた際、木造の階段がギシギシ鳴っていた覚えがあります。
「階段がギシギシいうような会社では、採用に不都合があるのでは」と父(当時の社長)に言ったことを思い出します。

私が入社後、鉄骨を入れて補強して内外装をやりかえて「研究所」として使用。
平成30年には、再び内外装をやりかえ、バーコーナーも設置した現在の姿になりました。
現在の研究所内部については、こちらの記事を参照ください。


懐かしい「神戸デパート」の写真です。
伍魚福も昔出店していたことがあります。

左奥に見えるのが第一勧業銀行長田支店です。

景色は変わっていますが、信号の柱は、当時のものがそのまま使われていますね。

みずほ銀行長田支店は、旧第一銀行長田支店から続く歴史のある支店だったそうです。

1997年1月は私は堺市に住んでおり、震度4しか体験していません。
その後、5月に伍魚福に入社し、本日まで仕事をしてきました。
その経緯については、こちらの記事を参照ください。
長いようで短い、あっという間の28年。

伍魚福メンバー82名のうち、震災当時から在籍するメンバーは8名。
震災後に生まれたメンバーが8名。
時は流れますが、会社は継続して存在し続けなければなりません。

毎年この時期、震災の報道を目にするたび、いろいろなことを考えます。
もっと良い会社になり、地域にも貢献できるようにしたい。
私がいなくなっても、継続できる企業にしなければならない。

改めて強く思います。