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経営について読書メモ2017.07.17(Mon)「日本の企業家 中内功」石井淳蔵著
「日本の企業家 中内功」石井淳蔵著。
兵庫県立第三神戸中学校(現長田高等学校)でもっとも有名な先輩である中内さんの評伝。
著者は、流通科学大学の前学長の石井先生です。
中内さんが近藤英也初代校長の教育理念(「開門章」として現在も新入生に配布されている)に大きな影響を受けておられたことをこの本で初めて知りました。
「私が三中で出会うことができたのは、近藤英也という校長である。(中略)仮校舎での入学式で私はその人を見た。そして、その話を聞いた。校長は、生徒の一人一人に「しょし」と呼び掛けた。『諸子』である。
『三中に入ろうとする諸子は、まず入門第一の鍵(かぎ)を握らねばならない。この鍵を握ることができなければ、せっかく入学してもムダとなるほかない』
こんな調子でしゃべる。感動がある。心がふるい立つ。
『入門第一の鍵を握るというのは『願』を立てることである。『願』とは、中学教育を受けて一人前の立派な中堅国民になりたいと熱望することである』」
日本経済新聞1979年9月17日掲載記事を同書に転載されたものから。
私も高校入学時に「開門章」をもらいましたが、熟読したのは最近です。改めて自分の「願」は何かを考えさせられました。
「開門章」の概要
※以下産経新聞WEB「日本人の座標軸」より引用です。
http://www.sankei.com/west/news/150118/wst1501180007-n1.html
《一、第三神戸中学校に入るものは先づ「入門第一の鍵」といふものを握らなければならぬ。此の鍵を握ることが出来なければ折角入学しても畢竟(ひっきょう)従事となる外ない。
二、「入門第一の鍵」を握るとは「願」を立ることである。(中略)
三、軽い意味の志やただの希望といふような事は「願」とはいへない。神を動かし佛をも感じさせるやうな強い強い願ひのことである。
四、「願」は強く考へて自ら悟るべき「一大事」にして他人より貰ひ受け又は教へ授けられて出来ることではない。父兄や先生の意見を聞き指導を受くることはもとより必要であるが、結局「一代の間に自分は如何なる人物となり、何を目当てに活きて行くべきか」といふことについて深く自ら考えた結果でなければならぬ。
五、「願」がなければ修行の必要はない。学校に入ることも無用のことである。的なき矢は放つ必要がなく楫(かじ)なき船はやるに及ばぬと同様である。
六、「願」は自己に対する誓でもあるばかりでなく天地神明に対する誓であるから度々変更すべきものではない。且(かつ)や人生は短く光陰は還らず一代唯一の「願」に活くるを常態とすべきである。
七、人間は二度生まるゝといってもよいのである。一度は身体を以て生まれ一度は「願」に生まるゝのである。初めの生まれは動物的の生まれであるが後の生まれは人間的の生まれである。「願」なきものは人間としての意義をもたぬ所謂(いわゆる)酔生夢死の徒である。
八、此の「願」は第三神戸中学校の教育の門を開く鍵であるが又一代の運命を開拓する鍵ともなる。故に之を「入門第一の鍵」といふのである(以下略)》